2009年05月08日

レイチェルの結婚

 映画本編とは関係のないお話ですが、
この映画は本当に久しぶりに、映画館で観た映画でした。
いや、映画館自体には結構な数行っているけども、
ここ数ヶ月は大型シネコンに大勢で観に行くことが多くて、
『映画を観る』行為そのものが、その日のど真ん中に位置するような、
そういう観かたをしばらくしていなかったので、
もう電気が落ちるまでの映画館で、ひとり
映画に備えていったん頭の中を空っぽにしようと
ただ、ぼおーっと座って白いスクリーンを眺めているだけで
何だかすごく嬉しくなってしまって、
映画館に行くということ自体がすでに、
自分にとって大切なことになっているなぁ、と思った。
  
 隣に座ったお客さんが、北欧人のおばあちゃんと日本人との御夫婦で、
その国籍不明な会話も、異国情緒漂ってなかなかいい感じ。
 そして、そして遂に電気が落ちて、スクリーンが横にうんと伸びていって・・・

 『レイチェルの結婚』 以下ネタバレ





 
 あらすじだけ辿れば、
施設にいた厄介者の妹が姉の結婚式に出るために帰ってきた、
それだけのお話。
 根底に流れるテーマも、本当に普遍的なものなのだ。
家族という関係の愛おしさと、不可解さ。
 なのだけれど、なんの予備知識もなしに観たからかもしれないけれど、
この映画は小さな驚きに満ちていた。
 まず全編にわたって、ハンディカメラで撮影されていて、
その場にいた“誰か”の視線からその家族を見守っているような、そんな気持ちになる。
監督は「最高に美しいホームビデオ」を目指したそう。
 そして姉レイチェルの結婚相手や、式の出席者、彼らの衣装、
そして音楽のなんと多国籍なことか。
これが今のアメリカの真実なのかは知らないけれど、
とりあえず日本人の目にはちょっと不思議な光景に映るほどの
“ごた混ぜ感”が強烈だった。
 
 そんな独自の空気感を持っていながらも、
海を越えて、国境を越えて、すんなりとこの映画が染み込んでくるのは、
やはり“家族の話”という芯がしっかりと、通っているからだと思う。
 これを観て、ちょっと西川美和監督の『ゆれる』を思い出した。
『ゆれる』のラストに感じた、
家族という絆の絶ちがたさと、
それが故に、何となく背筋がひやっとするような、何とも言えない不安。
 そんな感情を、この映画にも抱かされた。
 結婚式当日、幸せにくるまれた雰囲気の中で、
さりげなく示唆される、両親と妹キムとの関係の微妙さ。
キムから名刺を何気なく預かる父親と、
「ごめんなさい」を言いそびれたまま、去ってしまう母親。

 最後まで、家族の関係に決定的な決着はなされない。
けれども、だからこそ“レイチェルの結婚”は、
そんな家族の数少ない幸せの瞬間だったんじゃないかな、
そう思わせられたから、見終わった後に
変に爽やかなさみしさを感じた。
 


posted by B.B.Jim at 18:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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